報告件数:2009年度 318件、2010年度 358件

図1.ナガサキアゲハの分布(2009年度・2010年度いきものみっけ)
図1.ナガサキアゲハの分布(2009年度・2010年度いきものみっけ)
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図2.関東地方と福島県のナガサキアゲハの分布(2009・2010年度いきものみっけ)
図2.関東地方と福島県のナガサキアゲハの分布
(2009・2010年度いきものみっけ)

「いきものみっけ平成21年度夏の調査結果まとめ」では、1998年までのナガサキアゲハの分布と比較し、日本海側の分布は大きく変わっていませんが、太平洋側では分布の北限が愛知県南部から茨城県・栃木県へと移動し、北へ分布が拡大していることがわかりました。2010年のいきものみっけでは、2009年に報告がなかった富山県、長野県、群馬県、福島県から報告がありました。また栃木県では、2009年に南部の地域から報告がありましたが、2010年においては北部の那須塩原市からも報告がありました(図1)。

●太平洋側の分布について(図2)

栃木県では2009年に南部の小山市でナガサキアゲハが急増し(青木, 2010)、同年7月に幼虫が確認されています(下野新聞,2009年8月22日付)。小山市では市街地に柑橘類が比較的多く植栽されており(青木, 2010)、栃木県におけるナガサキアゲハの記録の多くは小山市を中心とした南部 の地域におけるものです。

茨城県では2006年頃から、県の東南部から中部にかけての地域で目撃や採集の記録が増え、年3回発生していると推定されています(井上ら, 2008)。いきものみっけでは、南東部の守谷市や常総市の他、北部のひたちなか市や那珂市からも、民家のミカンやキンカンでの産卵や幼虫の目撃の報告が数件ありました。筑波山麓には観光ミカン園もあり、連続したまとまった面積ではないものの、茨城県ではほぼ全市町でナガサキアゲハの食樹であるミカン科の栽培植物が生育していると考えられます。

福島県では、2009年にいわき市で幼虫が(茨城県自然博物館,2009)、2010年に伊達市で成虫が(松本,2010)確認されています。2010年いきものみっけでも、伊達市での採集と北部県境の新地町で民家のユズに飛来した報告がありました。

北原ら(2001)は、ナガサキアゲハの分布の北上と気候温暖化、特に最寒月の平均気温の上昇には強い関連性があることを示しました。分布北限地域の気温は、分布が北上してもあまり変化しておらず、1970年~1997年の北限域における最寒月平均気温の平均値を4.26℃としています。

ここ5年間の気象庁による最寒月平均気温の平均値を調べてみると、ナガサキアゲハが定着していると思われる埼玉県越谷市では、4.5℃でした。一方、栃木県・茨城県・群馬県では、ナガサキアゲハの記録がある地域においても最寒月平均気温の平均値は4℃未満でした。

また、吉尾・吉井(2001)は野外実験から、ナガサキアゲハの約半数の個体が越冬可能な気候条件(最低気温と最低気温が0℃以下の日数)を推定しました。そしてこの気候条件と、気象庁の観測値を比較した結果、宇都宮・水戸・福島・仙台ではナガサキアゲハが越冬するには厳しい気候条件であり、分布の北限は関東地方中部であろうと推定しています(吉尾・吉井,2010)。

これらのことから、現在のところ関東地方北部では、食樹である栽培ミカン類が比較的豊富な場所で、春から秋に発生を繰り返したり多数の個体が発生する年があっても、安定して越冬し定着しているという状態ではないと考えられます。福島県におけるナガサキアゲハの記録は数件で、これは一時的な発生であり、ミカン栽培地域において発生があったとしても、当面は冬期の気候条件により越冬が難しいと考えられます。太平洋側におけるナガサキアゲハの分布は、最寒月の平均気温が現在よりも1℃以上上昇しない限り、千葉県北西部から埼玉県東部にかけての地域が定着の北限で、それより北では年によって越冬できたりできなかったりを繰り返すと考えられます。

 図3.ナガサキアゲハの分布(2009年
  までの記録.環境省 2010より抜粋)
図3.ナガサキアゲハの分布
(2009年までの記録.環境省 2010より抜粋)

●日本海側の分布について

日本海側のナガサキアゲハの分布状況については、寄せられた情報だけでははっきりつかめませんでしたが、環境省「日本の動物分布図表」(2010)によれば、福井県には多数の記録があります。しかしそれより北は石川県に2件、新潟県に1件のみです(図3)。

福井県・石川県・新潟県における2005年~2010年の冬期の気象観測値を、北原ら(2001)が示したナガサキアゲハの分布北限域の「最寒月平均気温の平均値が4.26℃」、および吉尾・吉井(2001)が示した、約半数の個体が越冬できる気候条件と比較してみました。

福井県南部の美浜町は、最寒月平均気温が4.0℃でした。ここより南に位置する若狭町にはミカン園が多く、ナガサキアゲハの記録も海岸沿いに多くあり(環境省,2010)、この地域ではナガサキアゲハが定着していると推定できます。石川県金沢市は、最寒月平均気温が3.6℃でした。また石川県内にはまとまった面積の栽培ミカン類はなく、食樹の点でも定着は難しいと考えられます。新潟県佐渡市では、2000年頃からミカンが栽培されるようになりましたが、最寒月平均気温は2.7℃でした。また冬期の最低気温・0℃以下の日数は、年によっては越冬できる限界の値を越えており、食樹が十分あっても越冬が困難と思われます。新潟県の他の地域ではまとまった面積の栽培ミカン類がなく、やはり定着することはないでしょう。以上のことから、日本海側のナガサキアゲハ定着の北限は、福井県より北上することはないと考えられます。

引用文献
青木好明(2010)2009年、栃木県小山市でナガサキアゲハが急増.インセクト60(2).109-112.
松本 学(2010)伊達市月舘町でナガサキアゲハを採集.ふくしまの虫 (28):20-21.
ミュージアムパーク茨城県自然博物館 編(2009) 茨城県の昆虫類およびその他の無脊椎動物の動向.
環境省自然環境局生物多様性センター(2010)自然環境保全基礎調査 動物分布調査 日本の動物分布図集.1072pp.
北原正彦・入来正躬・清水剛 (2001) 日本におけるナガサキアゲハ(Papilio memmon Limmaeus) の分布の拡大と気候温暖化の関係. 蝶と蛾(日本鱗翅学会誌) 52(4): 253-264.
吉尾政信・石井 実(2001)ナガサキアゲハの北上を生物季節学的に考察する.日本生態学会誌51(3):125-130.
吉尾政信・石井 実(2010)気候温暖化とナガサキアゲハの分布拡大.地球温暖化と昆虫(桐谷圭治・湯川淳一 編).54-71.全国農村教育協会.