梅雨も終わりに近づき、もうすぐ本格的な夏がやってきます。センターの周りでよく鳴いていたエゾハルゼミもそろそろおしまい。これからセミの鳴き声はヒグラシやニイニイゼミにかわってゆく。

さて、先日くだもの屋さんの前を通りすがった際に、初夏の味サクランボが並んでいた。とてもおいしそうだったので値段を見たら、・・・少し高いかな。購入はあきらめたけれど、これから始まる夏がなんだかたのしみになった。もう少し店を見れば、もうスイカやモモもある。夏だね。その隣は、わあミカンもある。もう冬が始まるね、って・・・少し待ってくれ。皆さんも知っているとおり、温州ミカンは晩秋から冬にかけての柑橘(かんきつ)類だ。それが初夏のさなか、なぜ、ここに!?

このミカンについて調べてみると、ハウス栽培の物であることがわかった。農家の方が知恵をしぼり、技術と手間を存分にかけた、ある意味果樹園芸の極みである。少々小振りだが、みずみずしく、味も甘みコク酸味ともに大変よい、が、当然価格も高い(ひょんなことから最上等のものを食べる機会に恵まれた、スゴイだろう!)。私は感心しながらも、これでは「千両みかん」そのものじゃないかとおもった。

「千両みかん」は、落語の演目の一つだ。ある大店(おおだな)の若旦那が病に倒れた。若旦那は今一度「ミカン」が食べたいという。親である旦那は、番頭さんにどうにかミカンを用意するように言いつける。安請け合いした番頭さんだが、季節は夏真っ盛り、冬の食べ物であるミカンなんかあるわけがない。それでも番頭さんは必死でさがしてとうとう見つけた。ミカン問屋が冬から氷を切らさずに大切に保存していた、たった1個のミカン、値段はなんと千両(一両は約7~10万円、つまり7000万円以上!)。わが子の事を案じる旦那は金に糸目をつけず、これを買うよう番頭さんにいいつける。そうやって若旦那はミカンを口にすることができたわけだが、そのあと番頭さんは、なんだかばかばかしくなって蒸発しちゃう。

この話は「なりふり構わない子を思う親の執念」と「それに振り回される大変さ」を主題に置いた話なのだが、その「なりふり構わないむちゃくちゃな事」として「季節はずれのミカン」がでてくる。旬でないものを食べるということは、本当はそれくらい大変なことなのだ。

食べ物には旬がある。旬とは「いきもの」を私たちが本当においしくいただくのにもっともよい時期のことだ(たとえば冬越し前の最も脂の乗った時や産卵前で栄養をたくさん蓄えている時など)。いきものは季節によって姿や暮らしぶりを変える。その「いきもの」を食べる「いきもの」がいれば、そのいきものもまた、それにあわせた暮らしぶりに変わるだろう。いきものやいのちのつながりは、季節によっても変わる繊細なものなのだ。

もしも、その季節を通じたつながりを無視して、「欲しがったり」すれば、それだけ余計な手間がかかったり、お金がかかったり、環境に負担をかけたりなどの無理が出てきてしまう。たしかに、旬にかまわず、いつでも十分な食べ物(いきもの)を用意するのには、その「いきもの」の生態や性質をつかんで、工夫しなくては到底できない。

そういった意味では「旬はずれ」も生物多様性を理解し、うまく利用して恩恵を受けている。しかしそれは特別なことであることも知っていてほしい。少なくとも、若旦那の様に病に伏すこともなく健康な私たちは、なるべく安くて滋味豊かな旬の食べ物に舌鼓を打つのが、いきもののつながりにも私たちにも自然なことなのだ。

石塚あらた
環境省生物多様性センター技術専門員。同センターにおいて「いきものみっけ」プロジェクトや自然環境保全基礎調査業務などにかかわる。専門は昆虫学、特に河川に住む流水性昆虫に興味がある。最近のマイブームはシラスに混じる他のいきものさがし。